似てない。

「こんなに相手を許せないのは、自分が相手と似ているからだ」
と思ってしまう癖があって、それがたまにツライ。

相手からの言動に傷ついて悲しい思いをして、
しかも自分に否がないと思うような事でも
ふとした瞬間の自分の行動を見て、
「あれ、これってあの人に似てるかも」と思ってしまう。

夢も何度も見る。
「なーんだ、結局自分もあの人と同じ事してるじゃん」と
自分を軽蔑する夢を何度も何度も見る。

どんなに憎い、どんなに一方的に酷い事をされた相手でも、
自分と似ているところを探そうとしてしまう。

その出来事に決着をつけたいとか、自分なりに納得したい、
その人を許したい、みたいな思いがあるんだと思う。
あと、自分のせいにしておいた方が、相手を許さないでいるよりも楽だろうし。

最近、友人だと思っていた人からの言動で悲しい思いをした。
今はまだその人の事をこれっぽっちも許せないし、許すつもりはない。

その人と自分が似ている気がして、よりいっそう悲しくなる。
似てないと思うんだけど、似てる気がしてくる。

自分が空っぽな人間だという事を思い知らされている気がして、
現実世界と自分の世界での認識がどんどん歪んでいくのが分かる。

想像以上にダメージが大きかった。

自分が好きだと思える人たちの、好きだと思えるところに触れていると
自分の事も今より好きになれるのかもしれないけど、どうだろう。

悲しい出来事

悲しい出来事

人に物を貸す時は、返ってこなくても良いと思って貸す。
中学生の時に読んだ嶽本野ばらの「下妻物語」に
こんな風な台詞があったんだけど、「なるほどな」と思って
自分もそういう事にしてる。

本とか、CDとか、貸したままになってるものがある。
けどほとんど回収しようとした事がない。
気が向いたら返してくれたらいいけど、別に返ってこなくてもいい。

この前から人に貸したままのペンが返ってこなくて、
聞いても「返したよ」と言われてそれはちょっと悲しい。
(でも本当に返ってきてない)
600円ぐらいしたので、自分としては思い切って買ったやつなんだ。
ずっと欲しかったんだけど「600円ってなぁ」とか思って買えなくて
前の仕事でストレスが溜まっていた時に、自分へのご褒美的な感じで買ったやつだ。
スケジュール帳への書き込みとか、勉強とか、全部それを使っていたので
他のものを使うと、居心地が悪い感じがする。
600円でみみっちいかもしれないけどさ。

壊れた物。

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小さな頃、自分には傷ついた物を癒す力があると思っていた。

者、じゃなくて、物。
壊れた物はかわいそうで、救ってあげたかった。
ほつれたぬいぐるみも、割れたお皿も、動かなくなったおもちゃのロボットも、
かわいそうで、それを見るだけで泣いていた。
壊れるのが嫌だから欲しくない、とも思っていた。
そういう感覚は今でもある。

底に残ったロウソクが悲しくて、夜な夜なそれらを集めて一つの塊にしている。
仲間に会えてよかったね、みたいなことを思ってる。
人間相手にはそんなこと思わないけど、ロウソクには思う。
何か小さなどこかの世界を救っている気になっているんだと思う。
指先をやけどしながらロウソクを仲間の元に返してあげる。
それぐらいの力が、他人にも向けられればいいのに。