フユスル

どこかで浮遊しています。

寄宿舎でのこと。覚書。

養護学校で過ごした時の記憶は、あまりない。

それでも、なんとなく、寄宿舎での出来事は覚えていることが多い。

寄宿舎はだいたいが4人部屋で、
体調を崩した人やパニックになった人が1人で眠れる部屋も何部屋かあった。
洗濯は毎日できるけど、入浴は週に2、3度しか出来なかった。
買物に行けるのは週に1回。
寄宿舎の先生が付き添い、部屋ごとに買物へ行った。


夜は一人で本を読んで過ごした。
たまに「一緒にお菓子食べよう」と言ってくれる子がいて、
その子の部屋に行ったりした。


寄宿舎では、毎晩誰かの泣き声や怒鳴り声が聞こえていた。
暴れる子を、先生が止める声も聞こえていた。
眠っていると、見回りの先生がカーテンを開けて懐中電灯で顔を照らしていった。
どんなことがあっても眠れるようになった。
今でも、どこでも眠れるのはその時のおかげかもな、と思う。

知的障害といえど度合はさまざまで、
いわゆる健常者のように会話が出来る子もいれば、常に奇声をあげている子もいた。

その中でも、いわゆる健常者のように会話の出来る、
いわゆる軽度な子たちは、いわゆる軽度な子たち同士で集まるのが上手だった。


僕は学校でも寄宿舎でもあまり口を利かなかったのに、
何故か、軽度な子たちから話しかけられることが多く、戸惑っていた。
そして、何となく不快だった。

彼らは結束して、重度な子たちを手伝ったり、手伝うと見せかけて
滅茶苦茶に怒ったりして憂さ晴らしをしているようだったので、
僕はどちらかというと、重度な子たちと一緒にいるほうが気が楽だった。


ある日、同じクラスの女の子が相談を持ちかけてきた。
一学年上の男の先輩とセックスしてしまったと話す。
よく話を聞いていくと、それは全くセックスなんかではなくて、
抱きしめる、ぐらいのことだった。
恥ずかしそうに嬉しそうに「悩んでるの」というその子を、
僕は少しだけ心の中で嘲笑した。


その子は、母親も知的障害があり施設に入所している人で、
親戚に育てられ、服も鞄も眼鏡までも、親戚のおさがりだった。
そんな境遇を可哀想だと思う心は、僕にはなかった。
多分今でも、ないと思う。

あの子たちは元気かな、と思い出す。
楽しく暮らしているといいな、と思う。