知的障害。

知的障害ADHDだという診断が下りたのは中学生の頃だった。
自分が障害者だということへのショックは薄かったけど、
他人の障害者への接し方を肌で感じて、
「障害者ってこんなに酷い扱いを受けるんだ」と思った。
そんな自分も障害者だったってことに気付いて、
ちょっとだけ悲しくなった。

高校は養護学校へ行った。親元を離れ寄宿舎で生活した。
養護学校の生徒は、同い年の健常者の高校生よりは気楽だった。
でも、知的障害の中でも割としっかりした子が、
同じクラスの重度の子を嘲笑しているのを見たとき、
障害者も健常者も変わらないなと思った。

週に一度、実家へ帰る。
ちょうど、普通校の生徒たちでバス停もバスもぎゅう詰めになる。
時間をわざと遅らせて、僕もみんなもバスに乗った。
そんなことをする理由を誰も口には出さなかったけど、
やっぱりみんな健常者が怖かったんだと思う。

教師はアタリハズレが酷かった。
美大卒の頭のネジがどっかにいっちゃったような教師も多かったけど、
大半は仕方なく教師をしているような印象だった。
僕がコンタクトレンズをしていると知った時、
「コンタクトなんて出来るんだ・・・」と呟いた女性教師を
今でもたまに思い出す。

寄宿舎は最悪だった。
毎晩誰かの奇声が聞こえるのは苦じゃなかったけど、
スタッフが最悪だった。
言葉を話せない重度の子が出られないようにドアを閉めて、
パニックになったその子がドアを壊してしまうと、
わけのわからない理由をつけて全員でその子を叱りつけた。
その晩僕はリストカットをして、
母親と話したくなって事務室前の公衆電話で電話をかけた。
途中何度もスタッフとすれ違ったが、誰も何も言わなかった。

卒業と同時に工場へ就職した。
障害者雇用。会社にも補助金が下りるらしい。
僕が今まで働いた会社のどれより高給だった。
朝から夕方まで働いて、パートのおばちゃんが帰った後も
なんやかんやで働いた。
職場で一言も言葉を発さない日がたくさんあった。
話しかけられたら答える。
話しかけられないと、話せない。
1年ぐらいで退職した。
障害者という枠組みで生きることで、自分の社会性が失われていると感じた。

障害者として雇用してもらうのはやめた。
健常者として働くようになった。
自分が健常者か障害者かなんて分からないけど、その方が気持ちよく生きられた。
職は転々としてるものの、解雇されたことはないから、
それなりに働けてるのだと思う。
履歴書は嘘を書いている。
普通校を卒業したことにしている。
悪いことだろうけど、そうじゃないと職がない。

数年前、知能検査を受けた。
結果は通常の範囲内だった。
発達障害ではあるが、知的に問題はないとのこと。
やっぱりなー、と思った。
中学生の頃、知能検査を受けた頃、
それどころじゃないぐらい毎日が苦しかった。
義父は気持ち悪いし、母親は暴力的だし、
妹は憎く、お金はないし、
学校も家も嫌いで、自分も嫌い。
検査ですとかいって何枚かの絵を見せられても答えたくなかった。
そんな状態の検査結果が、自分の人生の重要な部分を担うことになるなんて
その時は分かってなかった。
普通校に通えたなら、そっちのほうが良かったとも思う。
大人になった今、高校時代の話をされても僕は嘘をつかないといけない。
だけど、普通校には通えてなかったかもしれないとも思う。
知的障害の診断がなくても、あの時はそれぐらい憔悴していた。

もう一度検査したら、また知的障害と診断されるかもしれない。
それならそれでいいけど。